不健康になる勇気はありますか?
これを聞かれたら大抵の人は「NO」では無いでしょうか。
病気の恐ろしさを知っている人ほどその答えは強くなると思います。
けれど、私はそれでもあえて言いたいです。
不健康になる勇気はありますか?
果たして不健康は悪なのか。
前回の記事で、ある健康法を厳格に実施した女性が、極限状態になってセッションを受けに来たという旨をお話ししました。
こういうように、「健康になること」を目的としてしまうと、健康法は「しなければいけない」というものになります。
それは本当に本当に辛いです。
自分で自分の首を絞めているようなものですから。
そもそも人間は、「波」がある。
健康になりたい、そうは言っても、人の調子には波があります。
人間、健康や周りに起こる出来事に、好調・不調というものが存在しますよね。
なんだか最近全ての流れが良い。
逆に
なんだか何やっても上手くいかない。
健康だって同じで、
病気というほどではないにしろ、なんだかちょっと調子が悪い。
それも含めて「自分」です。
この「ちょっと調子が悪いかな」という自分も包み込めてしまうかどうかというのが
今回タイトルで示している、不健康になる勇気というところです。
人の生命は「動」である。
人の生命は、常に動きを伴っています。
肉体にしろ、精神にしろ、動いています。
ということは、動きの中に様々な現象を含むわけです。
その中に、私たちが「病気」とか「不運」とか思う現象もあるわけで。
ただ、あくまでも動きなので、その波が動けば現象だって変化してしまいます。
この動きを感じて、全て包み込んでしまう。
だから、「歪み」とか「不健康な状態」というのも包む。
忌み嫌うことで、それらは否定され、増幅します。
そうすると、「これを消すためにあれをしなければ、これをしなければ」と
どんどんどんどん過剰な方へ。
東洋思想の世界では、私たちが認識できる全ての現象を「太極」と言います。
人間の体も、スマホも、食べ物も「太極」。
平和とか、健康とかそういった概念すらも「太極」です。
つまり「歪み」とか「不健康」「不運」というその認識も「太極」なのです。
それらを否定するということは、全ての「太極」を否定することにつながるんです。
だからもう、どうにでもなれですよ。
今生一度きりの身体でね。
その身体で、その生命で、何がしたいか。
その動きに、身体もきっと反応するはずです。
いばや代表の坂爪さんはこう言います。
ひとりの人間が生きているということは、ほんとうに物凄いダイナミズムを抱えたものなんだと思う。思い切り悩んで、思い切り悶絶して、そして、それ以上に開き続けようとしている命がある。なんだ、いままでの全部はこの瞬間のためにあったのかと思えるような、そういう瞬間が人生にはある。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 14
きっとその動きの先に、つながるものが見えるはずです。
健康のことは「気にならない」くらいがちょうど良い。
そのためのきっかけを、セッションを通じて、少しずつお伝えしていけたらと思っています。
難しい言葉の羅列や、奇異な術に騙されないでください。
本当はもっとシンプルなはず。
自分の生命を、最後の最後まで燃焼させる、ただそれだけです。
その中での多少の浮き沈みはあるでしょう。
だからこそ、自らの勇を奮い立たせる。不健康になる勇気を。
残りの生命、何に燃やしますか?
終わり。
東京学芸大学では、保健体育を専攻し、その後、日本ホリスティックコンディショニング協会ホリスティックコンディショナーの資格をとり、パーソナルトレーナーになる。活動歴7年。累計1000人以上のセッションを行う渋谷のパーソナルトレーニングジム「ととのえて、からだ。」の代表トレーナー。解剖学や生理学、栄養学など知識が豊富。